長崎の旅 軍艦島ツアー

長崎は、新社会人になった時に一度訪れた時がありますが、とんぼ返りだった記憶があります。

今回の目的は軍艦島の見学でした。
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船から望むと遥か遠方に人工的なオブジェクトが!

大正時代から鉄筋コンクリートの高層ビルが建設され、400m×150mしかない島に5000人もの人が住んでいたなんて、ロマンチックでなんと不思議な空間と思いませんか?

炭坑の島なのですが、普通なら坑夫の方が仮に住み込んで、1ヶ月一回ぐらい本島に戻れば良いのでは?と考えてしまうのですが、そこには家族が住んで、学校があって、一家には最新の家電がそろって生活が整っていたそうです。
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学校だったかな?今にでも子供が顔を出してきそうな雰囲気?
辛い坑夫さんにとっては家族がすぐにある環境がとても良かったのですね。

天空の城ラピュタのパズー達の住んでいた炭坑、狭い空間で人々が暮らしているなんて超時空要塞マクロス的だなあと感じしまったのはオタクの発想?

なぜ軍艦島と呼ばれていたかは、外観を見れば一目瞭然ですが、建設されたが軍縮会議で一度も戦火を交える事無く標的艦になって沈没していった戦艦「土佐」の外観に似ているからだそうです。
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外海、西からの外観が戦艦土佐に似ていたそうです。
でも大和が全長250mぐらいだから、実際は戦艦の2倍はありますね。
軍艦島ツアーは何社か行っているようですが、要予約で3月16日午後の便でお願いしていました。

天気は雨で、波浪警報もでるか?という状態で果たして運行されるか博多から長崎の電車の中でやきもきしていましたが、なんとか出航はする事になりました。

船は途中結構揺れて、立っていられない状態でした。
また、接岸するとき波が高く、まさかここは引き返すのでは?とヒヤヒヤしていましたが、上陸OK!
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乗務員さんが、ロープで島と船を結びつけて安全確保。
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神社もあったのです。
また、安全上傘も禁止で大雨だったらどうしようと心配していましたが、雨男の私がいたとしてもその時は奇跡的に雨は止んでいたいのです!うーん、軍艦島が私を待っていたくれたのだ!!

次は上陸編。