タイムリープ、タイムトラベル、生まれ変わり

夏への扉 ロバート・Aハインライン

SFの代表作としてあげられるが、海外SF文学は邦題のセンスの良さで認知度が上がるのではないかと考えています。
「たった一つの冴えたやり方」「幼年期に終わり」「月は無慈悲な女王」とか素敵じゃありませんか!

この「夏への扉」もそう、そして表紙が猫の後ろ姿なんですね。これはうちの猫も夏に外を眺めている姿とかぶるのです。
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しかし、内容はSFとしたらちょっとつじつまが合わない、ご都合主義すぎる内容、猫も脇役。でも猫の鳴き声の表現が結構リアルなんですよ。アオル!とかウエアーアとか。

要はタイムトラベルものです。よくわからなかったのは、過去の自分がコールドスリープに入るときと、未来から過去に戻って再びコールドスリープに入る自分がその時は2人分になってしまって、同時にコールドスリープできたのかな?ということ。

タイムトラベルの古典の「タイムマシン」、HGウエルズ作は未来に行って、すでに人類は進化してしまって現代人とは異なる世界を表していました。

しかし、どちらかというと過去に戻り人生やり直し、いい方向へ持っていく為何度でも繰り返す、タイムリープ的な話が多いいですね。

果たしてこれはタイムリープなのか、涼宮ハルヒの憂鬱の「エンドレスエイト」という、すごいTVの話があって、八回同じ日常を若干だが変えていき、なんとか夏を乗り切って2学期へ向かう作品がありました。

また、これは日常はサーバー内にあって、これの1学期を何度も繰り返す設定の「ゼーガペイン」。

何度でも繰り返して友人を救おうとする「魔法少女まどか☆マギカ」の暁美ほむら

仲間救う為何回もタイムリープを繰り返し、主人公の存在が危うくなってしまう「シュタインズゲート」。これはネット上で実在したと言われるジョン・タイターの話をモチーフとした内容で、平行世界(パラレルワールド)がどんどんできていき、世界は何個もあるという考え。

女子高生が未来から来た男子学生からの手紙で未来を変える「オレンジ」。ここでは、結局男子生徒を救えた世界と、救えなかった世界がすすんでいるという、結局は救えていない世界があるという悲劇があるということです。

よく、過去に戻って自分自身や自分が生まれる前の両親を殺害したら自分の存在がどうなるか?というパラドックスがありますが、自分が今いる世界と、殺害してしまった世界は枝分かれして別の世界が進んでいると考えれますね。

デジャブ(既視感)は平行世界が生まれた時のズレを感じる現象とも考えられます。よく私は新聞の記事で有名人の死亡記事を見ていると「あれ、この人前にも記事になっていなかったかな?」というデジャブが結構あります。

未来を変えようと行動しても、結局は同じ結果に収束すると考えているパターンがあります。友人が事故に遭わないように様々な手をつくすが、結局は事故にあってしまう。

例えば、自分の目に見えている世界と地球の裏側にいる人の関係とすると、自分の行動をもって周りの環境を変えても、裏側の人はトイレに入ったとしたら、別に自分周りをかえたとしても裏側の人はトイレに入るでしょう。

バタフライエフェクトというのがありますが、どうなんでしょうか?

今、「僕だけがいない街」がノイタメで放映していますが、あれも過去干渉しても少しの事象は変わるが最終的な友人を助けることができないストーリーになっています。

タイムリープとは異なり、生まれ変わりというのがあります。クローンは肉体を同じように作ることはできますが、その人の意志まではコピーできません。

死者の魂がこの世界に漂い生まれてくる赤ん坊にまた宿るという考えもありますが、かつて、携帯電話や無線LAN という技術がなかった時のように、まさかできないだろう?とった技術がどんどん現れてきています。なので、その意志をコピーするハードディスクのようなものができて、永遠に意志をつないでいくことが可能になるんじゃないかな?と考えています。

データですからね。有機回路=脳からシリコンチップの回路にそれが宿ることも可能ではないでしょうか。

ファンタジックチルドレン」といった、異星人が人間の子供たちの肉体を借りて意志をつないでいく、自然と姫や側近の魂がやはり地球人に宿り、運命的な出会いをする作品がありました。

また、よく頭がごっちんこして意志が入れ違っちゃうお話もよくもありますよね。

タイムトラベルよりは、意志をつなぐ、トラベルする方が現実的なような気がしてきました。